鑑賞の壺

はじめに

「会津」の地名は誰もが知っていると思いますが、会津とお寺という結びつきはなかなか無い組み合わせ。
会津には一般的に有名なお寺はありません。喜多方生まれの私も近くに国宝に指定されている仏像があることや、お寺が数々あることすら知りませんでした。興味がなかったのですね。
たずねて歩くと、会津もかつては仏教の影響を色濃く受けて歴史が深いことがわかりました。
きっかけになった「会津の寺(耶麻・河沼・大沼・南会津の寺々):歴史春秋出版株式会社」によると、川沿いの大きな寺院では夜になると寺の明かりや灯籠の明かりが川面に映り、大変きれいだったとか、末寺数十をかかえる大寺院などの記述が多くありかなりの規模のお寺が数多くあったようです。

勝常寺
お寺や神社は今も昔もいい遊び場です。

会津の方はもちろんですが、他県の方が会津の違った魅力に気付いていただけることを願います。
歴史や寺院、仏像などに関する専門知識がない素人が書いた内容ですので、参考程度にお読みください。関連リンクのページには、知識、経験豊かな情報がありますので合わせてご覧いただくことをお勧めいたします。
会津のお寺は県外まで名前が知れているお寺は多くはありません。住職がいなかったり、檀家さんが少なかったりで建物の維持もままならないお寺もあり、たぶん皆さんが期待するような規模ではないところが多いと思います。
より楽しく寺を見るために、会津の里寺「鑑賞のツボ」として、3つの心得をご提案します。

会津を知っておく会津の三泣き、什の掟。

会津は福島県の西側、3分の一ぐらいのエリアで県内の天気予報では「会津地方」と呼ばれています。西は新潟県、南は栃木県、群馬県に接し、北は山形県に隣接し東は猪苗代湖です。中心は会津若松市で、北にはラーメンで有名な喜多方市があります。
盆地のため、夏は蒸し暑く冬は積雪が多く、市内の道路には融雪装置が付いていほど。
会津と言えば、白虎隊、戊辰戦争、磐梯山、猪苗代湖、ラーメン、ソースカツ丼、カレーや焼きそば などなど、風光明媚で食べ物もおいしい所でも知られています。
会津人の人間性はひとことでは言えないが、「会津の三泣き」という言葉に代表される性格が概ね正しいのではないかと思います。 初めは会津人の閉鎖的な人間関係に泣かされ、慣れてくるとその人情の深さに泣かされ、別れるときは会津人の人情が忘れがたく泣く。というものです。
会津の人が特に、「人情に厚い」とは思いませんが確かにその通りだと感じます。
白虎隊で思い浮かぶ「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」は、幕府側であったことで、それが本意ではないとしても最後まで戦い抜いたことに「心」打たれ、「義」という人間のコアな部分を感じるから、今なお観光で訪れる方が多いのでしょう。
会津藩には「日新館」という藩校があり、上級武士の子供が礼法、武術、水練などを習った学校で、その理念には「ならぬことはならぬものです」に代表される什の掟(じゅうのおきて)があります。

【什の掟】
  • 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
  • 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
  • 三、虚言をいふ事はなりませぬ
  • 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  • 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
  • 六、戸外で物を食べてはなりませぬ
  • 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
  • ならぬことはならぬものです
もし欧米の自己啓発本の著者にこれを見せたら「もっとポジティブな言い方に変えましょう。」と言われそうな文章です。しかしこれは昔美しかった頃の日本文化のコア部分ではないかと思います。
このような武士の考え方が、一般庶民にも少しずつ時間をかけて浸透し身についたのが会津の血の中にあるのではないかと思っています。

背景と歴史を知っておく仏教受難の時代を経て

戦国時代、戊辰戦争、廃仏毀釈などで会津の寺々も多くが元の姿を失ってしまったり、無くなってしまったようです。
2007年から2008年にかけてホームページを立ち上げるために、普段読まない郷土史や関連書籍を読むにつけ「かっては大伽藍」とか「末寺30を数えた」など、京都や奈良のような大寺院がそこここにあったということは驚く事実で、全国にも同様の寺院があったと思うと、おろかな仕業を恨んでも悲しさだけが残ってしまいます。
いまさら嘆いても仕方がないのですが、せめてふるさと会津では、ふたたび同じ事がおきないよう願いたいものです。
実際に本を読み現地に行ってみると、ここが?と期待とは大きく違う様子のお寺が多かったのです。ここで紹介しているお寺は、県外の方を意識し前知識がなくても田舎のお寺として楽しめるところを紹介しています。
法用寺

かつては多くの行者がここに住み込み三十三の坊があったそうだが、今は無住職となっている。

恵日寺

平安のはじめに開かれた恵日寺は会津仏教文化の始まりとなる古刹。写真は数年前に再建された金堂。
ここもかつては寺僧300、僧兵6000、堂塔伽藍100、子院3800坊という規模であった。


仏閣の木組みがうつくしい建物構造に注目。

様々な受難を乗り越え残った、会津の寺寺も当初の建物が残っているところはありませんが、その木造建築の木が組まれてカタチづくる建物は誰が見ても美しいと感じるものです。
中国の仏教は、建築技術をともなって入ってきました。シンプルだった構造は時代を経るにつれて、道具や技術の発達、独自思想が相まって徐々に変わっていきます。
その時代の建築の特徴を表す言葉に「様」(よう)があり、大仏様、和洋、禅宗様とそれぞれの特徴で分けられています。

破風(常福院)
木組み(法用寺)
軒下の木組み(八葉寺)
木組み(勝常寺)
お寺の門は、仏教世界への入り口です。
ここから先は神聖な祈りの場であり、修行の場ですから心を切り替えるところなのです。
ここで紹介しているあるお寺の門の脇に注意書きがあり、そのひとつに「みだらな服装の方」とあります。表現はもう少し考えた方がいいとは思いますが、服装もご注意ください。
さて、門もいろいろあって、総門(中門)、山門(三門)とあり、総門は通用門で山門は仏殿の前にある門のことらしく、これでいうと会津の里寺は寂れたところが多く「山門」が主です。
かつては七堂伽藍がそろった大伽藍があったところもあるので、そんな昔を偲んで見学することも会津の里寺では正しい鑑賞方法です。
塔が残っているのは、法用寺だけです。
高層建築ですから維持するのも大変ですが、主に戦乱時に攻撃の的になって焼け落ちてそのまま再建されずに、廃仏毀釈の追い討ちを受けて衰退してしまったところがほとんどです。
塔は地域のランドマークになりますから、もっと仏心が一般に浸透していたのではないかと想像します。
お寺の中心になる建物。現在は本堂と呼ばれていますが、金堂・中堂・仏殿などという言い方もあります。
仏像を安置して礼拝する場所です。会津の里寺で紹介している寺は、この本堂と山門の組み合わせのお寺がほとんどで本尊を常時見られるところは、願成寺・恵隆寺・円蔵寺・勝常寺です。
大体が大きな建物ですから、木を使用した建築構造を見るとうつくしい形を見ることができますので、その辺もポイントです。
例えば、屋根の素材(茅葺・トタン葺き・銅葺)、その屋根の下にあるのが「組み物」と呼ばれる多くの部品で屋根を支えている部分です。
屋根を大きくそり出すために特に四隅の作りは、木と木が複雑に組み合わされていてどのお寺を見ても美しいものです。
鐘楼
鐘楼(しょうろう)も割に多くのお寺に残っています。
残っていないお寺の例では、大戦時に供出してしまって無いとい寺もありましたが、時勢とはいえ供出を考えた人は罰当たりとしか言いようがありません。
廃仏毀釈もそうですが、積み重ねたものを簡単に壊してしまう軽率さが
透し彫り(示現寺)
透し彫り(円蔵寺)
桜の季節も終わりに近づいたる日、夫婦で祈り
桜の季節、会津三十三観音巡り

春の飯豊連峰は私の原風景