ベコをなでて祈願すれば虚空蔵菩薩に通ずる。
ここに収められているお寺では一番西に位置するお寺「円蔵寺」。
磐越自動車道の坂下インターを出てまっすぐに252号線を只見線と只見川に沿って進むと看板はあるが、左側の山の上にあるお寺は車からはなかなか見ることはできない。
一休さんと赤べこの看板があるY字路を左へ行くと大きな駐車場がある。そこで間違えたらもう少し先に行くと、裏門からアクセスできる小さな駐車場がある。観光地はどこも道が狭くて無料駐車場がわかりにくくて困る。
どこから参るのが本当なのかわからなけれど、山門をくぐって行くのが正解なのだろうと思う。となると駐車場は有料を利用することになりそうだ。
この日は裏門近くにバイクを留めお参りした。下のアルバムも裏門からの順番になっている。
訪れたのは6月。梅雨が始まりはじめたしっとりとした曇り空の日だった。
円蔵寺は只見川を見下ろす山の上にあるため、ここからは本堂まで登りになる。山門側からはさらに急な階段を登ることになる。きれいな新緑に隠れた門までくると右に赤い橋とゆうゆうと只見川が流れている。見上げると階段の奥に二重になっている本堂裏側の屋根が大きく迫っている。多くの人が大駐車場を利用するためこのコースはゆっくりと景色を楽しみながら歩ける。
本堂の高さまで来ると開けたところに山を配して「手水舎」があり重厚な本堂と対峙する。
その昔、空海が修行の地、中国から霊木と三鈷(さんこ)を海に投げそれらがとどまったところを霊地にしようと日本にもどった。探すと、三鈷は紀伊にありそこに高野山金剛峯寺を創建。霊木は、紀州から安房に漂着していてこれを、元・中・末の三つに割って海に投げいれた。元木は安房国の清澄に漂着しこの地に「能満虚空蔵」(千葉県 清澄寺 能満虚空蔵菩薩)を、中木は常磐国村松に漂着し「大満虚空蔵」(茨城県 日光寺 大満虚空蔵菩薩)を刻んだ。末木が流れ着いたところがここ「柳津」だったということで「日本三大虚空蔵」と言われている。
虚空蔵菩薩は無限の智恵と慈悲を持った菩薩という意味があり、そのため智恵や知識の御利益がある仏として信仰されていて地域の子供たちは13歳になると「十三詣り」をして知恵がつくようお詣りする風習がある。
本堂内には、大きな「鰐口」(わにぐち)がつり下げられていて毎年1月7日には「七日堂裸詣り」といって、下帯姿の男たちが麻縄をよじのぼりその年の幸福と無病息災を願う奇祭が行われる。[YOUTUBE]
中には、お守りなどの売店もあり、祈祷を受ける人、高い天井を見上げる人などでいつも賑わっている。
大きな見所として、只見川側に張り出した舞台があり蛇行する川と赤い橋を見下ろすことができる。写真を見て気づいたが、いつの間にか床も欄干もコンクリート造りに変わってしまっている。小学生の頃は木製で、欄干に手をつくのが怖かった覚えがある。
裏から来たので、この先は山門へ石段を降りる方向へ逆行する。急斜面のためか石段はまっすぐではなく、一度大きく折れている。中間に仁王門がどっしりと建っている。あっという間に高度を下げて振り返ると岩山のようなところに伽藍が建っていた。今回の写真にはないが、大駐車場からの参道にはもみじや銀杏があり秋は紅葉とお寺が楽しめる。
また徒歩5分ほどのところには茅葺き「奥之院辨天堂」があるので、こちらもぜひいっしょにお詣りをしていただきたい。
伽藍も広く、山の上から川も見えて心が充実する里寺である。
[] 内容の一部は歴史春秋社:会津の寺を参照しています
圓蔵寺の由来は、大同2年(807年)徳一(とくいつ)の創建という説と、弘仁3年(812年)慈覚の創建という二つの説がある。本尊の福満虚空蔵(ふくまんこくぞう)は、空海の作で一本の木で三体の虚空蔵を造り、それが「日本三大虚空蔵」と言われています。
現在の本堂は、文政12年に再建されたもので、なんと12年かけて会津一円で協力して大木を只見川を利用して運ばれ造られたそうです。その際に、どこからと もなく赤牛が現れて運搬を手伝ったとの言い伝えがあり、水屋の近くに牛の像があります。撫でると御利益があるそうなのでぴかぴか光っています。
近隣の習慣では、13歳になると虚空蔵様にお詣りし知恵をもらうという風習があり私もお詣りした記憶があります。
[] ※参考:歴史春秋社刊「会津の寺」
-
リンク
-
リンク
Basic information
- 圓蔵寺(えんぞうじ)
- ■山名:霊巌山(れいがんざん)
- ■開山:徳一 大同二年 807年
- ■宗派:臨済宗
- ■会津三十三観音:番外
- ■本尊:釈迦如来
- ■建物:山門・虚空蔵堂・鐘楼・奥之院弁天堂(重文)など
- このお寺に関するリンク
圓蔵寺