野口英世の母が御籠もりした「旅と安産」の寺。
弘安寺の場所は、テキストでは伝えにくい場所にある。おおまかに言えば「常福院」と「法用寺」の中間にある里寺である。
有名なお寺なので、看板があちらこちらで見かけるので迷わず行けるだろう。野口英世の母が毎月観音の縁日17日の午前1時になると提灯を下げてやってきて御籠もりをしていったそうである。
猪苗代からここまで徒歩で5時間はかかるし、夜中でもあるから我が子を想う気持ちに心打たれる。
いつも賑わいのある中田観音は、観光バスも来るので駐車には困らない。すぐ観音堂が見えるのでまっすぐ足が向いてしまうが、仁王門から入ることをお勧めする。
はやる気持ちをここでも、おみやげやのおばちゃんが会津弁で遮る。「休んでがんしょ。お茶飲まんしょ。」それに応えるでもなく「はぁ・・」などと聞こえるでもなくつぶやきながらお堂へ足を進める。
おばちゃんの店の隣には収蔵庫がありそこには、「弁天様」が収められている厨子がある。小ぶりな厨子だが切妻造りの唐破風入りで禅宗様式の建築になっている。これは鎌倉時代の古い様式で国の重要文化財に指定されているが、ただの小さな祠にしか見えないので多くの人は外から覗くだけである。
お堂は、このサイトで紹介している里寺の中では大きい方で屋根が二重になっているが迫ってくるような感じがない。それは基礎部分が低く、階段にすれば2、3段で他のお寺より敷居が低くなっているからだと思う。
正面側には様々な奉納品が所狭しと飾ってあったり、置いてあったりでおもちゃ箱のようだ。願いの重さなのか、成就のお礼なのかいずれにしても庶民の素朴な感覚が会津の里寺らしいところである。
本堂内部はいつも見ることができ、右側に見える太い柱は「抱きつき柱」でこれに抱きついて祈ればコロリとあの世に行けるという柱である。ここ中田観音は「会津ころり三観音」のひとつなのである。参拝する中高年の多くが冗談を言い笑いながら抱きついているのを目にすることができる。
ご本尊の金銅造十一面観世音菩薩立像は、開帳期以外は幕に隠れているのでお目にかかれない。是非、ご開帳の時期にお出かけください。
弘安寺は、会津の里寺では有名どころのためいつも善男善女で賑わっている。このように何かにつけお寺へお参りする風習がいつまでも続いて欲しいと願う。
温泉付きの輩には近くには「新鶴温泉」があるのでひとっ風呂できるところでもある。
[] 内容の一部は歴史春秋社:会津の寺を参照しています
弘安寺(こうあんじ)は、厳知が作った中田庵がはじまりとされ、仁王門と観音堂が主な建物で、観音堂は鎌倉時代のもので中には中尊の金銅造十一面観音菩薩立像、脇侍の金銅造不動明王立像、金銅造地蔵菩薩立像がある。
(鎌倉中期のいずれも重文)観音像の開帳は、正月三が日、8月9、10日、11月1日から10日。6月1日から30日の大祭は随時ご開帳になります。
このお寺で有名なのが、野口英世の母シカが立身出世を願い月参りやお籠もりをしていた話。英世が帰国した際に、お礼参りに来たときの写真が堂内に飾ってあります。
[] ※参考:歴史春秋社刊「会津の寺」
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Basic information
- 弘安寺(こうあんじ)
- ■山名:普門山(ふもんさん)
- ■開山:富塚盛勝 弘安2年 1279年
- ■宗派:曹洞宗
- ■会津三十三観音:三十番
- ■中尊:金銅造十一面観世音菩薩立像(国指定重要文化財)
- 脇侍:金銅造不動明王立像・金銅造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財)
- ■建物:観音堂・仁王門・弁天堂(国指定重要文化財)
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弘安寺