静かに会津を見守ってきた会津大仏がある寺
願成寺がある地域は、喜多方市街地と示現寺がある熱塩との中間ほどのところで会津盆地が始まる北部にあり昔は「加納村」と呼ばれていた。
121号線をどちらから来ても「会津大佛」という看板が目に入りるがこれは願成寺の愛称。
会津盆地を北へ下り喜多方市街が終わり、両側と正面に山が近づいて来たら橋を渡りほどなく右へ折れると、小さな造り酒屋(笹正宗酒造)の前を過ぎ郵便局のある静かな通りを進むと奥まって願成寺がある。
駐車場に車を留めると、山門と伽藍内に大きな杉の木が目に入り伽藍の大きさが感じられるお寺だ。
浄土宗の多くがそうであるように東が入り口となっていて砂利を気にしながら入ると、すぐ左手にはプレハブの小さなおみやげ屋を兼ねたお休み処があり老女が「よってがせ」と声をかける。「はい」となま返事をしそちらには行かずに気になる山門の方へ急ぐ。
楼門づくりになった山門は、かなり重厚な作りで山名である「叶山」という額が掲げられている。楼上には三十三観音が安置されているそうだ。ここ願成寺は東日本大震災で建物が被害を受けた。山門は基礎がずれたらしく、全面を修復し真新しいコンクリートに変わっていた。さらに壁として補強用の合板が新たにはめ込んである。見た目は悪いがこの程度で済んで良かったと思うべきかもしれない。
重そうな楼上は12本の柱の上に乗りその上の屋根は細工された組物が支えている。山門をくぐり本堂前の空間に出ると墓地を背景にして鐘楼が左にあり右は庫裡で正面にやわらかな唐破風の屋根が印象的な本堂がある。ここも震災の被害をうけて部分的に修繕された目新しい材が目立つ。
砂利を踏みしめながら本堂の右を回ると阿弥陀堂へ向かうことができる。左手は墓地になっていて、大きな杉の木が二本そびえる奥に昔の大仏堂が見えている。ここに本尊があったらしいが重文に指定されてからは、防火設備の整った阿弥陀堂へ移された。
庫裏にに沿って歩くとすぐに池を配した庭が見え、白い阿弥陀堂が目に入る。
ここはいつでも開かれており、無料で参拝者を迎えてくれる。ご本尊にはガラス越しの対面になる。本尊の阿弥陀如来(鎌倉時代*寄木造り)は左には観音菩薩、右には勢至菩薩を従えており、高さ2.41mで会津大仏として親しまれている。
阿弥陀堂を出ると、急にさわさわと風が吹き、池の中の咲き終わった菖蒲の葉を揺らし水面に波紋がたった。それから初夏の木々や草がざざーと揺れ通り過ぎていった。
[] 内容の一部は歴史春秋社:会津の寺を参照しています
1227年(嘉禄3年)、京都知恩院の末寺として開かれたお寺。地元の人々に「会津大仏」と呼ばれ親しまれている仏像が有名で、阿弥陀堂で自由に見ることができます。
阿弥陀三尊像は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩で阿弥陀如来座像は寄木造りで舟形光背には千体仏があり、大戦(戊辰戦争ではなく第二次大戦)の時には出征する兵隊が、お守りに持って行き無事に帰れば戻したとの話が伝わっています。何カ所かは今も抜けた状態です。
[] ※参考書籍:歴史春秋社刊「会津の寺」
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Basic information
- 願成寺(がんじょうじ)
- ■山名:叶山 三宝院(かのうざん さんぽういん)
- ■開山:隆寛 1227年頃
- ■宗派:浄土宗
- ■会津三十三観音:五番札所
- ■本尊:阿弥陀如来坐像
- ■建物:山門・庫裡・客殿・大仏堂・阿弥陀堂
- ・国重要文化財:阿弥陀如来座像
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願成寺