鎌倉中期の和様の凜とした茅葺き観音堂。
この慶徳寺は佇まいがいいお寺だ。参道の入り口からなだらかに右に曲がった細道があり、稲荷山が始まる裾へ上がっていこうとするところに茅葺きの門が見え、道の奥は林と墓地手前はきれいに耕作された畑と田んぼがこじんまりとそこにある。
門までは歩いて1、2分。新緑の枝が大きく張り出して影をつくる小道を進み祠の手前で右へカーブすると正面に階段が見え、大きな茅葺きの山門を挟んで白壁が左へ延びている。
茅葺きの山門をポイントにして田んぼと木立に隠れるようにそこにある。なかなかの佇まいを見せている。
左手の大きな銀杏の木と右手のもみの木(?)を見上なら山門の前に立つと「禅房」の看板が掲げられている。示現寺の住職を務めた源翁禅師が能登の總持寺で修行し最初に庵を開いたのがここ慶徳寺といわれている。
門をくぐると苔むした小さな石仏が迎えてくれる。正面にはトタン葺きの本堂があり左手には小さな祠が見える。目を引くのは右手にある住職の住まいが、二階建て茅葺きの曲屋であることである。本堂よりもそちらに目がいってしまう。
本堂はトタン屋根で正面の入り口にはガラス戸が使われていて、民家のような印象になっている。ホームページによると本堂内には江戸時代の板戸絵があるらしい。本堂の背後にはなだらかに傾斜になった墓地を控えている。
振り返ると門を額縁にして上ってきた階段となだらかな道が絵のように見えている。さらに目を上に向けると、喜多方市街が春霞に浮かんでいる。ここは会津盆地の縁で山麓のはじまり部分にいることがよくわかる。
門を通らずに墓地に行く道を使って下へ戻ることにする。白壁沿いに歩き銀杏の木を左へ折れて道を下がると、白壁越しに茅葺きの四脚門の景色になりこれもまたいいアングルである。
ここ慶徳寺は、本当にこじんまりとしているが門を中心にした絵になる里寺で、春、夏、秋と訪れているが雪景色の季節にもぜひ訪れたいと思う。
笠智衆(りゅうちしゅう)が袈裟姿で門から階段をゆっくりと降りてきて農作業をしている顔見知りのおじさんに「どうだね、今年は。」と声をかけて去って行く。そんなモノクロの小津映画が似合いそうなすてきな里寺である。
「新編会津風土記」によると、応安元年 (1368) 源翁 (げんのう) 和尚がこの地に来て庵を結んだのですが、蘆名詮盛 (のりもり) が源翁に帰依 (仏教を信じて身を任せること) し、一宇を建立して源翁を住まわせ、「紫雲山慶徳寺」と称したのです。源翁はさらに永地元年 (1375) 熱塩村 (熱塩加納村) に示現寺を開基 (お寺を新しく作ること) しました。
応永3年 (1396) 春、源翁が再び慶徳寺に宿した時、那須野殺生石の墓が現れ、白狐に姿を変えて尾を巻き、やがて十一面観音の姿に変えて山に飛び去りました。そこで山号を 「巻尾山」と改め、殺生石の霊を稲荷神と崇めて稲荷神社を造営したといいます。ここでは曹洞宗と稲荷信仰が習合しています。
[] ※参考:慶徳寺ホームページより
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Basic information
- ■山名:巻尾山(まきおさん)
- ■開山:安政元年 1368年
- ■宗派:曹洞宗
- ■建物:中門・本堂
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慶徳寺